『ヒガンネコ』

脚本 藏原かおり
2022年11月24日

【登場人物】

ソラ猫            18歳(人間だと約88歳)メス

ファーレ猫    10歳(人間だと約56歳)メス

ミドリ猫        5歳(人間だと約36歳)メス ファーレの娘

シルバ猫        2歳(人間だと約23歳)オス

テマリ            14歳(人間だと約72歳)メス 猫の幽霊


1.和室

猫四匹と人間二人の暮らす家。
和室の縁側で、老猫ソラと中年猫ファーレが庭を眺めている。
庭には彼岸花が咲いている。

ファーレ    今年もまた、あの赤い花が咲き始めたね。

ソラ            ヒガンバナっていうんだよ。去年も教えたじゃないか。夏が終わるころに、いつも咲いてる。

ソラ、ため息をついて座り方を変える。

ファーレ    ソラさん、今日も足が痛むの?

ソラ            うん。年のせいかね、気分までどんよりしちゃう。こう痛くっちゃ、あの世へ行くときに虹の橋をちゃんと渡れるか、自信がないよ。

ファーレ    あんまりかばいすぎないで、少しは運動した方がいいんじゃない?気も晴れるよ。

別室からシルバが駆け込んでくる。

シルバ        おばーちゃーん、あっそっぼー‼

シルバ、ソラの喉元にとびつく。

ソラ            シルバうるさい、やだよ、あっちいって‼シャー‼

シルバ        ファーレおばさーん。

ファーレ、シルバをにらむ。

シルバ        やーめた。

シルバ向きを変え、フスマのない押し入れの中段で昼寝しているミドリにとびかかる。

シルバ        ミドリちゃーん、あっそっぼー‼

ミドリ        うるさいなあ、はいはい、あとでね。

と、やさしい猫パンチを返す。

シルバ        えー、誰も遊んでくれないよー。えりこさーん、あそぼー。

シルバ、リビングへ行き、飼い主えりこの前に寝そべる。
えりこ、シルバの喉や背中をなでてやる。

ファーレ    あーあ、シルバがまたえりこさんに甘えてるよ。体ばっかり大きくなって、猫のプライドはどこに置いてきたんだろうね。

ミドリ        えりこさんもはるきさんも優しいもんね。ママも時々えりこさんに甘えてるじゃない。

ソラ            シルバは甘やかされすぎなんだよ。はるきも仕事から帰ってくるなり、シルバを抱き上げてデレデレしてるし。

ミドリ        おばあちゃんだって、毎朝えりこさんに抱っこしてもらって、家の中を散歩してるよ。そんなことしてもらうの、おばあちゃんだけだよ。

ソラ            えりこにしろ、はるきにしろ、人間は猫の下僕なんだよ。私たち猫が快適に生きるためには、人間を上手に使わなきゃ。

ミドリ        勉強になります。

玄関のチャイムが鳴る。
えりこ慌てて和室のエアコンを消して、作業服姿の人間を迎え入れる。

ファーレ    わっ、誰だあいつ!

ソラ            この部屋でまた何かするんだね。やれやれ、めんどくさいなあ。

ミドリ        あっ、えりこさん、なにするの!

猫たちはえりこによって和室から追い出され、フスマをぴったり閉められる。

シルバ        なんだかゴトゴト聞こえるね・・・あ、どこかのフスマを開けた。

ミドリ        どこかって、あの部屋でフスマが残ってるのは、天袋だけだったじゃない。鍵付きで。

ファーレ    あそこを開けて、何をするんだろう。

ソラ            天井裏に入るんだ。

シルバ        テンジョウウラ?それは何だい?

ソラ            しっ。

猫たち全員、聞き耳を立てる。

ミドリ        あ、上の方から音がする。

ファーレ    うわ、今私らの真上に何かいるよ。さっきの人間?

ソラ            あの天袋は、天井の上の部屋につながっているのさ。昔は私たちが好きな時に登って入って、天井裏で遊んだものだよ。

シルバ        すごいや、この家でボクがまだ入ったことのない部屋があったんだ。行ってみたいな。

ミドリ        どんなところなの?

ソラ            暗くて、広くて、人間は滅多に来ないから、自由なところだよ。

ファーレ    どうして今は入れなくなっているの?

ソラ            ・・・話せば長くなるよ。あ、出てきた。

作業服の人間が和室から出てきて、えりこと何か話し、玄関から出て行った。
えりこも慌ただしく出かけた。

ミドリ        えりこさんも行っちゃった。もうあっちに戻っていいかな。

猫たち、そろりと和室へ入る。シルバが柱を登り、天袋をあらためる。

シルバ        あっ、鍵が外れてる‼このフスマ、開けられるよ!

シルバ、そっとフスマを押す。

シルバ        開いたよ、入ってみようよ‼

ミドリ        うん、行ってみようよ!ママとおばあちゃんも一緒に。

ファーレ    私は行きたくない。何がいるかわからないよ。

シルバ        大丈夫だよ、ファーレおばさん。何かがいても、ボクがやっつけてやる!

ファーレ    だから心配なんだよ。

ソラ            私は行くよ。天井裏には大事なものがあるはずなんだ。確かめなくちゃ。

ファーレ    行っちゃだめだ。危ないよ。足も痛いんでしょ?

ソラ            大丈夫だよ。昔何回も行ったけど、何も危ないことはなかったよ。

ファーレ    昔は大丈夫だったかもしれないけど、さっきだって知らない人間が入って何かやってたじゃないか。昔と今は違ってるんだよ。

シルバ        んもう、ボク一人でいくよ。

ミドリ        シルバ待って!行くならみんなで行こうよ。ママ、ママはとっても用心深いよね。だからこそ、ママは野良猫として大人になることができて、私が生まれた。ありがとう、ママ。今日は、ママに育ててもらった私が、しっかり、天井裏を偵察してくる。大丈夫だったら合図をするから、そしたらおばあちゃんとママも登ってくればいいよ。

ファーレ    ミドリがそこまで言うなら、わかった、そうする。気をつけて。

シルバ        ミドリちゃん、ボクも一緒に行くよ。

ミドリが最初に天井裏に入る。続いてシルバ。
二匹が同時に顔を出し、「大丈夫」と合図する。
ソラが登り、最後にファーレが入る。

.天井裏

四匹はおっかなびっくり歩き回る。

シルバ        結構広いね。それに外の光が入って、まあまあ明るいや。・・・あれ、こんなところに赤い丸の絵の扇子があるよ。

ソラ            それはゴヘイといって、この家を守ってる大事なものなんだ。ちょっかい出しちゃだめだよ。

ミドリ        懐かしい匂いがする。

ソラ            歩くのはこの太い梁の上だよ。天井板は薄いから、下手に踏むと外れて、下の部屋に落ちるよ。

シルバ        なんだこれ!

ファーレ    誰かがここで爪を研いだ跡だ。だいぶ古いね。

ミドリ        あ、ここにも、あっちにも‼

ファーレ    やっぱり怪しい奴がいたんだ!

ソラ            それは昔、私がつけたんだよ。

シルバ        なんだ、そうか。

ソラ            そっちのは私じゃないけどね。

ファーレ    なんだって?これも同じくらい古いのに。

ミドリ        おばあちゃんの他に昔いた猫って・・・。

その時、大黒柱の御幣の陰から、見知らぬ猫が現れる。

シルバ        誰だお前‼シャー‼

ファーレ    こいつ、こんなところに‼

ファーレがうなりながらとびかかるが、ふわりとよけられ、さわれない。

ファーレ    あれっ、なんだ?

ソラ            テマリだ‼テマリ、ずっと探してたんだよ。やっぱりここにいたんだね。

シルバ        おばあちゃんの知り合い?

ミドリ        昔一緒に暮らしてた、テマリおばさんだよ。でも、なんでここにいるの?

ファーレ    どうしてこいつがいるんだ。

テマリ        ソラさん、お久しぶり。ファーレは相変わらずだね。ミドリ、元気そうだね。そしてこのでっかいのは?

ミドリ        シルバだよ。おばさんは三年前に死んだはず。どうして今、ここにいるの?

ファーレ    どうしてもこうしても、私はこいつが大嫌いだ‼えい、えい、あっち行け‼

ファーレ、テマリをひっかこうとするが、ふわりとかわされる。
テマリ、すましている。

ファーレ    なんでさわれないんだ!爪は届いたはずなのに。

テマリ        シルバ、初めまして。この家初の、雄猫かい?

シルバ        テマリおばさん?そうだよ、ボクがこの家を守るんだよ!

ソラ            何言ってるんだい、猫のプライドなんかこれっぽっちも持たないのに。テマリ、元気なのかい?ずっとここにいたの?会えてよかった。はるきもえりこも喜ぶよ。

テマリ        人間たちも変わりないんだね。それは何より。

通風孔から迷い込んだ羽虫を、テマリが目にもとまらぬ速さで捕まえる。

シルバ        テマリおばさん、すごい‼

テマリ        コツさえつかめば簡単だよ。気配を消して、ねらいを定めて・・・それっ‼

テマリのひと声で、シルバ駆け出す。つられて全員、一斉に走り出す。

ミドリ        シルバ、虫逃がしてるじゃん、へたっぴ‼

シルバ        待て待て‼ああ、あっちにいった、おっと、このコードは気をつけなくっちゃ。

ミドリ        こっちにもいる!えいっ!はーい、一匹ゲット。

ソラ、左足をかばいながら小走りしてみる。

ソラ            ・・うん、あんまり痛くないな。よし、スピードアップ!

ソラ、駆け出す。
ファーレは柱のてっぺんまで登っている。

ファーレ    ほかほか、お日様のぬくもりだ。いいねえ。

ファーレ、うっかり天井板に飛び降りる。

ソラ            ファーレ、下まで落ちるよ!

ファーレ    はいはい、失礼しました。

梁に戻る。

ファーレ    ソラさん、久しぶりに元気だね。

ソラ            そうだね、なんだか気分がいいよ。

ファーレとミドリ、せっせと爪を研ぐ。

ファーレ    私たちの匂いを、しっかりつけておかなくちゃ。

ミドリ        背中もこすりつけておこう。これでバッチリ。

シルバ        そうだ、ここにマーキングすればいいんだ。

ソラ            シルバだめだよ!トイレは下の部屋で済ませてきなさい。

シルバ        えーっ‼匂いづけもだめなの?

ソラ            ダメ。

シルバ        ここは広くて、遊ぶには最高だけど、トイレは遠くて不便だな。

ファーレとミドリ、ご機嫌でお互いを毛づくろいしあう。
ミドリは喉をゴロゴロ鳴らし、ファーレは低い声でうなり続けている。
テマリが二匹のそばに来る。

テマリ        あんた機嫌良くても悪くても、そうやってうなるんだね。

ファーレ    悪かったね。野良だった頃は周りの生き物みーんな敵のようなもんだったから、こんな声の出し方しか知らないんだよ。

ミドリ        ママったら、赤ん坊の私をあやしてくれる時もこの声だったんだよ。

テマリ        見かけは小さくてかわいいんだから、もう少しおだやかで優しい声出せば、人間にもかわいがられるだろうに。

ファーレ    私はこれでいいんだよ。これ以上かわいがられなくても、十分。

ミドリ        それがね、ママはえりこさんにはやさしい声で呼びかけるんだよ。なでてよ、ニャーンって。

テマリ        それは意外‼でも良かった。この家の人間とは仲良くやれてるんだね。

ファーレ    まあまあね。

ミドリ        ママとおばさんのケンカは激しかったもんね。顔見た途端、威嚇して、追いかけまわして。すぐ押し入れの上に駆け上がって、取っ組み合いになってた。

テマリ        ファーレがすぐうなるからだよ。

ファーレ    ふん。ここまで登って来れてたら、もっと派手にやりあってたかもね。

ミドリ        こんなところでどっちかが大ケガして動けなくなっても、人間はすぐには登って来られないね。

ファーレ    鍵がかかってて、あんた助かったね。

テマリ        それはこっちのセリフだよ。・・・おっと!

テマリ、頭上に飛んできた羽虫を追って、走り出す。
ソラ、上機嫌で爪をとぎ、天井裏の隅々を見て回る。
五匹目の羽虫を捕まえたテマリを見て、近づく。

ソラ            相変わらずすばしこいね。体の調子はいいの?

テマリ        元気、元気。今いるところでは、痛みとか、つらいことは何もないんだ。

ソラ            いいねえ。私も早くそっちに行きたいよ。足は痛いし、この頃はご飯もおいしくないし。

テマリ        いのちの長さは決まっていて、自分では変えられないみたいだよ。

ソラ            あら、そうなの。

テマリ        そう。あんたもその時が来たら、嫌でもこっちに来るんだよ。

ソラ            ふうん。あんたは、その時が来た瞬間、怖くはなかったの?

テマリ        うん。気が付いたら、もう虹の橋を渡り終えてた。

ソラ            あんたさあ、サヨナラの挨拶もなしに、いきなり行ってしまうなんて、あんまりだよ。

テマリ        ごめんね、それは謝るよ。・・・でも、いつがその時なのか、わからなかったからね。

ソラ            そうだったんだ。ってことは、私の「その時」も、いつ来るかわからないのか。

テマリ        そうだよ。

ソラ            それじゃ、準備のしようがないじゃないか。

テマリ        自分のいのちを最後まで生ききって死ぬんなら、何も身構えることはないよ。

ソラ            いや、だけど。

テマリ        その時が来るまで、今を大事に生きればいいんだよ。

ソラ            そんなものかな。

テマリ        そんなものだよ。

ソラ            私はあんたが死んだなんて、信じられなかった。この天井裏に隠れてるはずだと思っていた。

テマリ        うん。

ソラ            そして今日ここで、また会えた。思い切ってここに来て良かった。

テマリ        私も、あんたに会えて良かった。他のみんなにも会えたし。

ソラ            ファーレはあれでもだいぶ丸くなって、リビングで私らと過ごせるようになったんだよ。

テマリ        へえ。和室に引きこもって、ずっととんがっていたのに。

ソラ            シルバははるきに甘やかされて、おぼっちゃんに育ったけど、ミドリといいコンビだよ。

テマリ        そのようだね。雄猫がやってきて、はるきも嬉しいんだろうね。ミドリはしっかり者の、いい娘に育ったね。

ソラ            はるきもえりこも変わりなく、私たち猫に仕えてるよ。

テマリ        そう。良かった良かった。

ソラ、ひげをピンと張る

ソラ            テマリ、これから一緒に下の部屋へ降りよう。

シルバ、ミドリ、ファーレ、聞きつけて走って来る。

ミドリ        おばあちゃん、それ本気?

ソラ            もちろん。行こうよ。はるきもえりこも喜ぶよ。

シルバ        やった!そしたらもっと、虫を捕まえる技を教えてもらえる‼

ファーレ    ソラさんがこいつ、いや、テマリさんに会えて嬉しいのはよくわかる。でも、それはできない相談だよ。テマリさんは三年前に死んだんだよ。

ソラ            そうかもしれない。だけど、今こうしてここにいるじゃないか。テマリ、できるだろ?一緒に下の部屋へ行こう。

テマリ        ごめん、ソラさん。それはできない。

ソラ            どうして?

テマリ        虹の橋を渡った猫は、もうこの世には戻っては来られない。彼岸花の咲いている間だけ、思い出の場所に現れることができるんだ。

シルバ        ふーん。・・・えっ、じゃあ、おばさんはもうすぐ消えちゃうの?

テマリ        そうだよ。

シルバ        えーっ、そんなあ。

ミドリ        そうなんだ。そういうことなんだね。

ファーレ    やっとちょっとまともに話せるようになったと思ったんだけど。

テマリ        私はそろそろ向こうに帰るよ。

シルバ        もう会えないの?

テマリ        どうかなあ。あんたがもっと年を取った頃に、また会える、かもしれないね。

ソラ、ふうっと大きなため息をつく。

ソラ            私ももうじきそっちに行くと思うよ。もうすっかり年を取った。

テマリ        私はこっちで待っているから、あんたがあんたの命をきっちり生ききったら、また会おう。

ソラ            わかった。

テマリ        ファーレ、もう少しおだやかにね。

ファーレ    努力はするよ。

テマリ        ミドリ、シルバ、仲良くね。

シルバ        うん、テマリおばさん、またね!

ミドリ        会えてよかった、ありがとう。

テマリ        はるきとえりこに、よろしく。

ソラ            伝えておくよ。

テマリ        じゃあね。

テマリ、御幣の中へ消えていく。
ソラ、しばらく御幣を見つめている。

シルバ        あーあ、行っちゃった。寂しいな。

ミドリ        うん。・・・あれ、おばあちゃん、すっごく姿勢が良くなったね。

シルバ        ほんとだ、きれいな猫背!

ソラ            そうかい?懐かしい顔を見られて、気持ちも体も軽くなった気がするよ。

ファーレ    それは何より。・・・確かに、少し若返ったかも。

ソラ            あんた、テマリとえらく話し込んでたけど、ちょっとは仲良くなれたのかい?

ファーレ    ちょっとはね。

ソラ            それは何より。

ミドリ        少し暗くなってきた。もうお日様が沈むね。

ソラ            よーし、下の部屋に、帰ろう。

ファーレ    下界に戻りますか。

シルバ        ここ気に入ったよ。また来れるかなあ。

ミドリ        鍵が外れてたらね。

四匹は順番に降りてゆく。
夕日に照らされる庭で、彼岸花がしおれ始める。