テーマとは一緒に考えたいこと
「作者の伝えたかったことはなんだろう?」
観劇後、こんな話が出ない作品作りを心がけています。本当に観客の心に届いた作品なら、答えは言葉でなく気持ちや気分となって瑞々しく溢れ出てくるものだと思います。瑞々しさの鍵は観客の想像力です。そもそも人はどうしてわざわざ嘘で塗り固められた演劇を観るのでしょう?それは普段あまり使うことの出来ない想像力を働かせるためではないでしょうか。想像力を総動員させることで嘘の世界の中に本当の何かが見つかる。一生懸命頭で考えても出てこないような答えが、ぽっと心の中に浮かび上がる…演劇はそんな想像力の屈伸運動。心を躍動させるための魔法の化学式なのだと思います。劇場はそんな魔法の化学式の実験の場。私たちは物語という素材を、観客は想像力という素材を持ち込みます。そこでどんな化学変化が起こるか、それはやってみないことには分かりません。答えの分かっている実験などやる意味はないのです。
大切なのは「伝えたいこと」ではなく「一緒に考えたいこと」。「答えの分かっているもの」ではなく「今、ここで発見すること」。
私はたくさんの観客とともに大切な何かを発見したいと思っています。
だれに?いつ?どこで?
演劇で大切なのは観客の想像力をいかに喚起するかということです。
そのためには観客の状態をあらわす 「だれに?いつ?どこで?」に配慮することががとても重要です。特に子どもたちが対象の場合、想像力豊かな子どもたちにその力をぞんぶんに発揮してもらえるよう、このことについては精査しなければなりません。
だれに?…対象年齢は?子どもだけで観るのか、親子で観るのか?知り合い同士がコミュニティーの中で観るのか、はじめて顔を合わせてた人たち同士で観るのか?
いつ?…時代性の問題。昔ばなしにしても何にしても、「なぜ今か?」を問うことは重要。
どこで?…劇場で?体育館で?公民館で?はたまた野外で?これは舞台・照明・音響などの演劇的条件だけを指すものではありません。場所には場所の雰囲気、力があり作品との相性があります。ある作品を観客に届けるのに、立派な客席を持つ市民劇場より客席と舞台がフラットに繋がる小さな公民館の方がぴったりだったというのはよくあることです。
シナリオ工房天邪鬼では、依頼主と「だれに?いつ?どこで?」をよく話し合った上でプロット作成に入ります。もちろん「だれでも、いつでも、どこででも」と対象を絞れない企画があることも承知しております。とにかく、まずは話し合いましょう。
プロット作成
シナリオ工房天邪鬼はいきなり脚本執筆には取り掛かることはありません。まずはプロット(脚本になる前の見取り図)を作成します。このプロットを元にプロデューサー、演出家と話し合いを持ち、推敲を重ねた上ではじめて第一稿の執筆に取り掛かります。プロット→第一稿と段階を設けることで共通認識を築き上げていきます。その共通認識を元に第二稿→完成稿と書き進めていきます。
舞台は時間芸術
どんな芝居にも共通して使える物差し、それが時間です。短編には短編の、長編には長編の適切な時間配分というものがあります。一日に朝・昼・晩があるように、一年に春夏秋冬があるように、舞台上の出来事は適切な時間配分によって構築されなければ大きなうねりをあげることは出来ません。
「その出来事は観客が席について何分経ってからの出来事なのか?」
シナリオ工房天邪鬼は常に観客の視点に立った時間配分を考えることで観客の想像力を最大限に引き出す工夫をしています。
みんなで観る
当たり前のことですが、演劇は「みんなで観る」ものです。
普段はバラバラの人たちが一つの場所に集まって同じ芝居を一緒に観る、それが演劇です。知らない者同士が同じ場面で笑っていたり、もしくは反対によく知っていると思っていた人が思わぬところで泣くのを目にしたりする。特に子どもたちの反応は顕著です。子どもたちは、自分の面白かった場面で大笑いした時、しばしばお母さんの方を振り返ります。反対にお母さんたちだけが笑うような場面でも、やっぱり振り返ってその様子を確認します。劇場には常に「共有」と「差異」が同居していて、そのどちらもが人と人のつながりをあらわしています。
現代は個の時代と言われていますが、本当の個は集団の中で育まれていくものだと思います。私は「みんなで観る」演劇を大切にしたいと考えています。そのためには「私」という個性を押し付けていくような作品ではなく、みんなの真ん中に浮かび上がるような、そんな作品づくりを心がけています 。